家でもひらけるようになったので、愛側の人間のひらいての感想

2021年4月19日、綿矢りささんの 「ひらいて」という作品に、作間龍斗くんが出演することが発表された。ジャニーズJr.が一堂に会したMステの円盤でのHiHiJetsのパフォーマンスの時に一人地方ロケで参加できていなかったのをみて、単独でバラエティーに出演するのかな?くらいにしか考えていなかったが、栃木でひらいての撮影をしていることがわかってとても喜ばしかったのを今でも覚えている。

 

映画本編を見る前に原作を履修したいタイプなので、その日のうちにひらいての原作を購入するために本屋に走った。内容としては、学校の中でも人気者で、モテモテの木村愛、物静かで謎めいた雰囲気を持つ西村たとえ、そして、西村たとえの秘密の恋人である新藤美雪という三人が繰り広げる三角関係のものだった。特設サイトのキャッチコピーが「私だけが彼を好き でも、入り込めない それなら 好きな人の好きな人を奪えばいい」というとてもインパクトのあるもので、高校生特有のどろどろした感じでとても考えさせられたのだったのを覚えている。作間くんには、キラキラした青春恋愛映画というよりは、どろどろした感じの映画に出でほしいという思いがあったのでとてもうれしかった。

 

そして、ひらいてが10月22日に公開され、23日の舞台挨拶のタイミングで一回目見ることができた。

初めて見た感想は「私はたとえくんが嫌い」だった。

私がどちらかといえば愛側の人間だったからかもしれないが、愛が頑張ってたとえに振り向いてもらおうとしているのに、たとえは、愛が言っていることすべてが嘘に感じてしまうから、愛がたとえに「好き」と言っていることも嘘なのではないかと愛に直接言う場面でとてもつらくなってしまった。

愛は、予備校の仲間といるときは「不良のあい」を演じ、母親や学校の先生の前では「優等生のあい」を演じるなど、たくさんの自分を持っている。どの愛も本当の自分であり、愛的には全く嘘などついていないにも関わらず、たとえに「全体的に嘘をついているみたい」といわれるのは本当にかわいそうだなと思ってしまった。

 もう一つ、たとえは愛とあまり話したこともそこまで親交が深いわけではないのに、愛ちゃんの何を知っているの?という思いに駆られてしまった。

あと、愛がたとえのことで振り回されて、自分は何者なのかわからなくなっている状態、愛の心の状態が、愛の部屋の状態とリンクしていたのがすごかったなと感じた。

たとえの悪口ばかりになってしまったが、率直な感想はそんな感じだった。

 

そのあと、二回目、三回目、、と合計で六回見に行ってほかの人の考察や、一緒に見に行った友達の感想などを聞いていくうちに自分の中で徐々にかみ砕くことができた。

 

そして自分なりの解釈ができたのでここで消化しようと思う。

私もそうだが、家族の前での自分、友達の前での自分は全然違い、友達の中でもメンバーが違ったら自分のポジションも全く違ってくる。どこの記事かは忘れてしまったが、人間は誰しも多重人格であり、違う人格の時にほかの人格の時の記憶を飛ばしてしまうのが一般的に言われる多重人格であると読んでことがある。愛ちゃんは一般の人よりその傾向が強かっただけで、高校生という「自分とは何者なのか」を考える時期も重なってしまってたこともあり、こういう時期にも関わらず、自分をしっかりもって、何にも染まらずに自立している西村たとえという人にひかれてしまったのかなと感じた。

 

考察をしていた人が、愛がお母さんに離れて暮らしているお父さんが誕生日だからメッセージをかいてと紙とペンを渡されたときは「おめでとう」と書くことができていたが、また別の日に「なんでもない日だけどメッセージかいて」と言われたときなんて書いていいのかわからず止まってしまっていた場面があり、愛ちゃんは「お誕生日=おめでとう」という型は知っているが、何もない日の型を知らなかったから書けなかったといっていて、とてもはっとさせられた。と同時に、私も型にはまらないと生きていけない性格だからどうしても愛に肩入れしてしまうんだなと感じた。

 そして、愛がたとえにどんなにアタックしてもたとえはふりむくどころか、ずっと無関心で見向きもしてくれないので、大切な人の大切な人を奪ってしまおうという思考になり、美雪と仲良くし始め、たとえとのことを聞き出し、美雪のからはじめてまで奪った。

この場面で、私は始め、「大切な人の大切な人を奪ってしまおう」という思考で行動を始めたと思うが、愛の精神状態が不安定になってきたころから、愛は美雪に依存しているのではないかと思うようになった。映画の後半に予備校の友達のカップルがホテルに入っていくのを見た後、美雪の家に行き、美雪に同様の愛情のようなものを求めているシーンから、美雪もやはり、愛とは違う人種で、糖尿病を患っていて、インスリン注射を打つ際にも恥ずかしがることもなく堂々とクラス全員がいる前で打ったり、クラスで孤立してもあまり気にすることがなく、型に合わせるという概念があまりなさそうで、愛とは違うタイプの人だからこそ愛ちゃんもそこにひかれていったのではないかと感じた。美雪は愛に何を言われても何をされても拒絶することなく全て受け入れていた感じがしたからだ。

 

愛と美雪との関係が深くなっていき、愛が美雪の携帯を使いたとえを呼び出し、美雪との関係をたとえに告白するが、たとえは全くというほど無反応、無関心で、挙句の果てに「俺はお前が嫌いだよ。暴力的で、なんでも思い通りにやってきて、自分の欲望のためなら人の気持ちなんて関係ない。なんでも奪い取っていいつもりでいる。」と言われてしまい、そのことに対して、「知ってる。ずっと見てたから」と反論し、たとえにハグをしてキスを要求する部分がある。愛の中にまだどうしてもたとえを自分のものにしたいという気持ちが残っており、この部分が、せめて、美雪とする前に私と初めてしてほしいという一種の執着のように思えた。そんな中で、たとえも「お前が俺に向けている好きっていう感情もこれくらい嘘っぽいんだよ。そんな感情を向けられても全然うれしくないんだよ」ということを行動でしめし、そんな感じでされてもうれしいか?と愛に問うが、愛ちゃんもおそらく心から嬉しくは感じていないが、強がってうれしいと言い、そのあと「貧しい笑顔だね、いつも木村さんが作っている笑顔とは比べ物にならない」と言われ、去って行ってしまうシーンがある。愛ちゃんのたとえを好きな気持ちは本当で、どんな形であってもたとえと関わることができれば何でもいいというくらい好きという気持ちが大きくなり、そして、それと同時に、成績優秀で、かわいくて、女子に少し反感を持たれるくらいモテモテな愛に関心を示さない、普通の男子とは違う、こんなに私が好きって言っても美雪から全くなびかない、けれど自分のものにしたい。。とだんだん意地のようになっていき、「好き」という感情から「執着」に変わっていったように感じた。

 

最後に、文化祭の出し物でつくった作品を思いきり倒すシーン、私は愛のたとえに対する執着が壊れるのを表現したのかなと感じた。そのあとたとえが来て、前に愛に、「たとえくんが美雪を好きなのは、同じ世界の人だからで、美雪が弱い人間だから」と言われたことに答えるシーンで、「違う人間だったから好きになった、けれど、美雪の病気を共有しているつもりでいた」といったことに対して、「私たとえくんのためなら両目を針でつけるけど。その代わり、私が失明したらずっとそばにいてね?」といったシーンが、美雪が病気を持っているから、弱い人間だから、好きなんじゃないよとたとえに悟らせているように感じ、そこで愛の成長を感じて、私的には一番印象に残る場面になった。

 

卒業式の場面、愛が美雪からもらった手紙を読み、鶴の形に折っていた折り紙をひらくシーンがある。まだきちんと自分なりの解釈ができていなかったときは、偽りの自分から解放されたという意味での「ひらいて」だと思っていたが、折り紙をひらいたときの折り目が愛の演じている多重人格の部分、いわば型の部分を表しており、「折り紙の折り目すぐにはなくならないし、もとのきれいな状態には決して戻らない。今まで演じてきた型という部分は、すぐには直らないし、癖のようになってしまっているからそれをまっさらにすることは出来ない。」ということを伝えたかったのかなと感じた。この話が終わって、三人が高校を卒業した後、まだ三角関係が続くのかもれないし、もうこの関係にも終止符が打たれるのかもしれないし、それことはわかりかねるが、どちらにせよ三人がお互いにいい方向に進むような気がした。

 

全体を通して、愛は始めたとえのことを西村くん呼び、美雪と仲良くなってからはたとえくんと呼ぶようになっているのが、型にはまっているなぁと感じ、逆に、キスするシーンは愛が型にはまらず、自分の思いをたとえにぶつけているので「たとえ」呼びになっているのかなぁと感じた。

 

最後に感想として、たとえの愛に向ける表情と、美雪に向ける表情の違いに愛側の人間として胸が痛くなりました。笑